春の散歩
酒は好きだろうか。
酒を飲むようになって数年経つが、私はこの問いに一つの答えを持っている。
酒自体ではなく、飲んだあと歩く時間が好きだ。
幸いなことに私は酔い潰れるまで飲むことはほとんどなく、特に社会人になってからは記憶を失うようなことは少ない。
適量飲んだ後に歩く時間は、何か他のものに変えられないような特別な感覚がある。
例えば、最近のような暖かくなり出した春の夜。夜でも気温はあまり下がらず、頬を撫でる程度の風が吹いている。そんな日に、仕事終わりに少しだけ飲んで帰路に着くとき。
地下鉄の駅から出て、夜空を眺めながら、イヤホンから音楽を流してぼんやり歩いていたら、いつの間にか家の周りを何回もぐるぐると歩きつづけていた。
夜は当然暗くて、昼間より見えるものも制限されている。だからこそ見慣れた街並みも知らないもののように映るけど、さらに酒を飲んだ後だと、自分の脳内がこの景色を異物と見なすのか、何か知らないもののように見えて来る。
音楽も、普段聴いている曲でも何故かクリアに聴こえる。新鮮味が違う。
視覚はどこかふわふわした異質な景色で塞がれ、聴覚は好きな曲で占められて、だんだん脳内は他のことが入り込む余地がなくなっていく。
仕事の憂鬱さとか、仕事の嫌なこととか、仕事の不安とか、自分の将来とか、このくだらない社会とか、私が生まれた意味とか、家父長制とか、止まらない争いとか、完全ではないがある一瞬消える。
友人と一緒に歩くのもいい。鴨川沿いでだらだら話しながら帰る時間は至福だった。覚えている。
しかし、一人でもこんな時間を持つことができる。
人はこの行動を孤独と思うのだろうか。
あの頃友人と鴨川で歩いていた私は、今の私を憐れむのだろうか。
そうだとしても好きなのである。桜が見えなくても、隣を歩く友人がいなくても、この感覚は代え難い。